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教会だより

「神の救いを見た」 ルカによる福音書二章二五~三二節

ルカ福音書二章二五節以下に、一人の老信仰者シメオンのことが記されています。二五節に「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み」とあります。「正しい人で信仰があつい」ということは、立派で品行方正な人というのではなく、自分の弱さ、罪深さをよく知っている人ということです。だからこそ、そういう自分が罪赦されて、救われることを心から待ち望んでいたのです。

「イスラエルの慰められるのを待ち望む」とは、具体的には、神の約束のメシアの到来を待ち望むということです。それによって神の民イスラエルが「慰められる」のを待ち望むのです。現実のイスラエルは、神の民とは名ばかりで、あまりに貧しい信仰の現実の中にあることをシメオン自身がよく知っていたからです。そのイスラエルに神が約束してくださったメシアが与えられることによって、神の民としてのイスラエルの「誉れ」(三二節)が表され、それによってイスラエルが「慰められる」ことをシメオンは願っていたのです。

そのシメオンが、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」(二六節)のです。これはすばらしい神の約束ではないでしょうか。神が遣わすメシアに会うまでは決して死なないということは、死ぬ前には必ずメシアに会うことができるという神の約束だからです。

長い旧約聖書の歴史はメシア待望の歴史でありました。そうであればシメオンは、その旧約聖書の歴史のいちばん最後のところに身を置くことになるのです。否、旧約聖書の歴史が終わり、新約聖書の信仰の時代が始まる、その接点に自分自身がなるという名誉を与えられたのです。

しかし、シメオンにとっては、そのような名誉よりも、この神の約束によってシメオン自身が本当に幸いな立場に置かれたことを喜んだのではないでしょうか。シメオンが高齢でいつ死んでもおかしくない状況にあったということは、それだけ約束のメシアにお会いできる日が近いことを意味したからです。今日か明日メシアに会うことができるかもしれないという喜ばしい期待の中に日々を過ごすことができたからです。高齢になり、心も体も衰え、死が近いことを感じることは、深い恐れや不安の中に歩みがちになるものですが、シメオンはそのような苦境から守られていたのです。自らの死に目を向けるよりも、神が約束してくださったメシアにお会いできる日が近いという事実に心を向け、そのことを楽しみに日々を過ごすことができたからです。これこそ、長い年月「イスラエルの慰められるのを待ち望んで」きた老信仰者シメオンに対する神の最高のプレゼントだったのです。

シメオンが、聖霊に導かれて、きょうメシアに会えるかもしれないという期待の中に神殿に入った時、そこで幼子を連れた両親に出会い、この幼子こそ神の約束のメシアであると、シメオンは聖霊の助けの中で確信したのです。幼子イエスはまだメシアらしいことを何もしていないただの赤ん坊でした。しかし、この幼子の中に神共にいますインマヌエルの恵みが満ち溢れていることを、シメオンは聖霊の助けの中で知ることができたのです。それ故にシメオンは、深い喜びに満たされ、幼子を腕に抱き、神をほめたたえて「主よ、いまこそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」(二八節)と語ることができたのです。

「この目であなたの救いを見た」と言っています。幼子イエスの中に神が共にいてくださる事実を知ったということです。それとともに、神が私と共にいてくださる恵みを味わうことができたということです。それ故に、あらゆる不安や恐れから解放されて、安心してこの世を去ることができると言っているのです。

幼子イエスの中に「神の救いを見る」とは、十字架と復活の命を表してくださった主イエス・キリストの中に「神の救いを見る」ということです。それによって、主が私と共にいてくださるインマヌエルの恵みを知り、深い心の平安を与えられ、あらゆる囚われや思い煩いから解放されて生きることができるのです。

あらゆる恐れや不安から守られて、安らかにこの世を去ることができるということは、言い換えれば、この世のあらゆる思い煩いや囚われから解放されて、力強く生きることができるということです。主イエスの中に「神の救いを見る」ことができる時、私たちはそのような自由と解放の中に生きることができるのです。それが神の救いに生きることです。

主イエスは、神共にいますインマヌエルの恵みの中にあって、すべての人間の罪を担いつつ苦難の生涯を歩み、十字架の死を真実に死ぬことを通して復活の命を明らかにしてくださいました。この主イエスの中に「神の救いを見る」のです。それによって、私たちも神共にいますインマヌエルの恵みの中に生かされ、シメオンと共に「主よ、いまこそ、あらゆる囚われから解放されて、自らに与えられた生活の中で、賜物を生かしながら、力強く生きることができます」と語ることができるのです。

牧師 柏木英雄
(教会だより2020年2月号)