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教会だより

「死者の中からの復活」(イースター礼拝) ヨハネによる福音書20章1-10節(3/31説教)

 1節に「墓から石が取りのけてあるのを見た」とあります。主イエスの墓の入り口には大きな石がはめ込まれていたのですが、主イエスのご復活の朝にはその石が取り除かれていたと言うのです。このことはすべての福音書が共通に語っていることです。このことは何を意味しているのでしょうか。このことは主イエスが体をもって復活されたことを言わんとしているのです。

 ヨハネ福音書は主イエスの墓が空であったことを具体的に丁寧に語っています。「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた」(4節)など言うことは語る必要もないことですが、このような些細なことをあえて語ることによって、主イエスの墓が空であり、しかもイエスの体が盗まれたにしては不自然であることを強調しているのです。「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった」(7節)とは、そのことを言わんとしているのです。

 この時、主イエスの御体にはすでに決定的なことが起こっていたのです。主イエスが十字架の死を真実に受け抜かれた時、天の父なる神がそれを御覧になって「よろしい」と言われたのです。「あなたは本当に真実に十字架の死を全うして、人間の罪の贖いを成就した」と十字架の死を遂げた主イエスに対して語られたのです。そういうことが起こっていたのです。その神の承認の故に、主イエスの体は三日目に神の全能の御力によって復活させられたのです。

 主イエスの復活の御体は私たちと全く同じ人間の体でしたが、その中にはすべての人間が持つ罪と死がなく、神の命に満ちあふれた清い体だったのです。主イエスはそのような御体をもって復活されたのです。主イエスが葬られた墓が空であったということは、そのことを言わんとしているのです。

牧師 柏木英雄