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教会だより

「わたしに倣う者となりなさい」 コリントの信徒への手紙一10章23-11章1節(6/23説教)

 25節で「市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい」とパウロは言うのです。「地とそこに満ちているものは、主のもの」(26節)だからです。しかし、「もしだれかがあなたがたに、『これは偶像に供えられた肉です』と言うなら、その人のため、また、(その人の)良心のために食べてはいけません」(28節)とパウロは言うのです。

 これはユダヤ人キリスト者たちのことです。彼らは旧約聖書の教えの故に、キリストを信じるようになった後でも、偶像に供えられた物を食べることは身を汚すことであると信じていたのです。確かにそれは狭く偏った信仰理解ではあるけれども、そういう人々を躓かせないために、食べるな、とパウロは言うのです。彼らはそういう信仰によって生きているのだから、その信仰を妨げてはならない、彼らのためにも「キリストは死んでくださった」(8章11節)のだから、とパウロは言うのです。

 私たちからすれば、それは躓く方が悪い、と思うのです。そして自分の信仰は正しいのだから、自分の信仰に従って自由に行動しても良いのではないかと思うのです。しかし、自分の信仰が正しいと言っても、私たち自身が神の御前に罪人であり、キリストの十字架の赦しがなければ生きることができない人間である点では、彼らと少しも変わりがないのです。そうであるなら、自分の信仰の正しさを押し通すことによって相手を躓かせることが神の御心に適うことと言えるか、ということです。

 そういう私たちこそキリストの愛に生かされている者として、自分の信仰の正しさを捨てて、弱い者と共に生きる愛が問われているのではないか、とパウロは言うのです。この愛に生きるという点で「わたしに倣う者となりなさい」(11章1節)とパウロは言うのです。

牧師 柏木英雄