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教会だより

「不義を喜ばず、真実を喜ぶ」 コリントの信徒への手紙一13章4-7節(9/29説教) 

 4節以下に愛について語られています。愛が「最高の道」(12章31節)であると言う割には地味で控えめな表現ですが、簡潔に、力強く語られています。「愛は忍耐強い、愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。~」この愛についての言葉はどこから生まれて来たのでしょうか。主イエス・キリストご自身からです。パウロが主イエスに出会い、主イエスから示された愛を自ら経験することの中で、このような愛の認識が生まれたのです。そうであれば、この愛についての言葉は主イエスを念頭に置いて語られた言葉、いや、主イエスご自身が語られた言葉と言うことができます。

 4節に「愛は忍耐強い」とあります。「忍耐強い」とは「寛大である」とも訳せる言葉です。主イエスこそ父なる神との祈りの交わりの中で真に忍耐強く、寛大に生きた御方です。その主の忍耐強さ・寛大さの中で、パウロは自らのすべての罪が赦され、主を信じる者として生かされたのです。その主の愛の忍耐強さ・寛大さを経験した者として、パウロは愛について語り、主イエスの霊の助けの中でこの愛に生きることの大切さを語っているのです。

 6節以下に「不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」とあります。これこそ主イエスご自身の生涯の歩みを表す言葉ではないでしょうか。主イエスはこの愛の中を生きて十字架のご生涯を全うされたのです。今日の4節以下に語られている愛に私たちが生きるためには、この愛に生きてくださった主の霊のご臨在の恵みに頼る以外にないのではないでしょうか。愛そのものである主の霊のご臨在(インマヌエル)の恵みの中で、初めて私たちもこの愛に生きることができるのです。

 そうであれば、ここに語られている愛に生きるために常に新しく主を覚え、主に立ち帰り、主の霊のご臨在の助けを祈りながら、この愛(最高の道)に生きる努力をする者でありたいと願います。

牧師 柏木英雄