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教会だより

「信仰、希望、愛」 コリントの信徒への手紙一13章8-13節(10/6説教)

 8節に「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」とあります。どこでこのようなことが言えるのでしょうか。それは世の終わり(キリストの再臨)を念頭に置いてそう言えるのです。世の終わり、キリストの再臨の時には、私たちは「顔と顔とを合わせて」(12節)キリストをはっきり見ることができるので、もはや預言も異言も知識も必要がなくなるからです。キリストの再臨(救いの完成)の時には、私たちはキリストの愛に包まれるからです。預言(説教)や異言、知識はキリストが再臨されるまでの間に、キリストの救い(愛)の尊さを証しするために必要なものであって、キリストが来られた時には、それらのものは使命を終え、もはや必要がないからです。それ故に、愛だけが滅びることなく、永遠に続くのです。

 13節に「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」とあります。信仰と希望についても同じことが言えます。キリストの再臨(救い・愛の完成)の時には信仰も希望もその使命を終えるので、必要がなくなるからです。

 ところで、信仰とはキリストの霊的臨在(インマヌエル)を信じる信仰です。そしてキリストの霊的臨在(インマヌエル)こそ、私たちにとって愛であり、命と力です。信仰はこのこと(インマヌエル)を実現してこそ真に意味を持つのです。このことを実現することのない観念的な言葉だけの信仰は、キリストの再臨以前に既に力を失っており、「無に等しい」(2節)のです。その意味でも愛は信仰に優っているのです。

 希望についても同じことが言えます。希望はキリストの救いを希望することです。しかし、キリストの救いは既にキリストの霊的臨在(インマヌエル)の中にあるのです。それなら希望は、キリストの再臨以前に、既にキリストの霊的臨在(インマヌエル)の中で実現しているのです。それ故に、愛こそ信仰と希望に優る「最も大いなるもの」なのです。

牧師 柏木英雄