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教会だより

「初めに言があった」(新年礼拝) ヨハネによる福音書1章1-13節(1/5説教)

 1節に「初めに言があった」とあります。「初め」とは、神が天地万物をお造りになる前、即ち、神ご自身の中、ということです。「言」とは、多くの言葉が語られる中での言葉そのもの、「根源的な言葉」という意味で用いられ、神の御子イエス・キリストを指しています。つまり、神ご自身の中に「父なる神」と「子なる神」との無限に豊かな愛の交わりがあったということが、1節「初めに言があった。言は神と共にあった。~」において言われているのです。

 それは、神は孤独の神ではなく、神ご自身の中に無限に豊かな交わりがあり、そのご自身の交わりの中に生かそうと、神は被造物、特に人間をご自身に似せて造られたということを意味しているのです。つまり神は、天地創造の「初め」から、人間を救って、ご自身との交わりの中に生かそうとお考えになったのです。人間が罪を犯したから、それを赦して救うというのではなく、罪を犯す前から、人間をご自身(御子)の命に与らせて、ご自身との交わりの中に生かそうとされたのです。そしてその救いのご計画は、人間がどんなに罪を犯してもそれによって妨げられることなく、神はご自身の救いの計画を貫いてくださるのです。それほどに深い愛を人間に対して持っていてくださる神なのです。「初めに言があった」とは、そういうことを言わんとしているのです。

 4~5節に「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とあります。神は御子を人間の姿で遣わされ、この御子の命に与らせることによって人間を救い、ご自身との交わりの中に生かそうとしておられるのです。人間はこの御子イエスを認めず、十字架にかけてしまうのですが(11節)、御子イエスは復活され、いよいよ深い愛と赦しの中で「あなたの罪は赦されている、だから、わたしの命によって神の救いに生きる者となりなさい」と、今も語りかけて止まないのです。神はそれほど深い愛を、私たち人間一人一人に注いでいてくださるのです。

牧師 柏木英雄