教会だより
「神の恵みは無駄にならず」 コリントの信徒への手紙一15章1-11節(1/19説教)
2節に「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」とあります。福音を信じる信じ方が正しくなければ、福音を信じたこと自体が無駄になってしまうとパウロは言うのです。Ⅰコリント2章2節で「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」と語ったことと同じことを言っているのです。
「十字架につけられたキリスト」を信じることの大切さが強調されています。「十字架につけられたキリスト」とは、復活し、昇天し、聖霊において今も生きて働き給うキリストということです。つまり、今生きて働き給うキリストを信じるということです。言い換えれば、今生きて働き給うキリストに自分を委ね、そのキリストによって新しく生かされることです。そのことを常に新しく求めていくことが「正しく」キリスト(福音)を信じることである、とパウロは言うのです。そういう信じ方でなければ、真にキリストによって新しく生かされることができない、即ち、救われることができない、と言うのです。
8節以下で「最後に、(復活のキリストは)月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。~わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました」とあります。なぜパウロは「わたしに与えられた神の恵みは無駄にならなかった」と言うことができたのでしょうか。それは、生きて働き給うキリストの恵みに頼らないで、自分の力で生きようとするなら、どんなに愚かで空しい生き方になってしまうか、罪の虜になってしまうかを、パウロは自分の過去の苦い経験から他の誰よりもよく知っていたからなのです。
牧師 柏木英雄