教会だより
「マラナ・タ(主よ、来てください)」 コリントの信徒への手紙一16章13-24節(3/16説教)
13節に「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい」とあります。「目を覚ましている」とは、主イエスの救いの働きに対して心の目を開いているということです。それによって「主が共にいてくださる」(インマヌエル)恵みの中で「信仰によって堅く立つ」ことができる時、私たちは「雄々しく強く生きる」ことができるのです。「雄々しく強く生きる」ことは、ただ心を強く持つことによってではなく、自らの弱さ、罪深さを深く知り、その私の中に主が憐れみをもってご臨在くださる(共にいてくださる)ことを知ることによって、初めて可能となるのです。その時初めて、心を強くして「雄々しく」(原語は「男らしく」)決然と生きることができるのです。
そして「雄々しく強く生きる」とは、人を弾き飛ばして生きることではなく、一人一人の弱さや課題に気づき、寄り添って生きることです。「愛をもって」(14節)生きることです。信仰によって強く生きることと愛に生きることが深く結び合わされているところに、パウロの信仰の健全さ、正しさが表されています。
15節に「ステファナの一家はアカイア州の初穂」とあります。ステファナ一家がコリント教会の基礎を築いたのです。そのステファナ一家の信仰に立ち帰れとパウロは言わんとしているのです。教会の中で「党派争い」(1章10節以下)に明け暮れるのではなく、主が生きて働き給う信仰の原点に立ち帰ってその恵みの中に生きるようにと言っているのです。
22節の「マラナ・タ(主よ、来てください)」という言葉をもってパウロはⅠコリント書を閉じています。主の再臨を待ち望むとは、今隠れて(聖霊によって)救いの働きをしておられる主イエスが誰の目にも明らかになることを待ち望むということです。それによって、今隠れて働く主の救いに生かされる信仰の正しさが全ての人に明らかになることを待ち望むのです。ここにパウロの信仰が表わされています。
牧師 柏木英雄