教会だより
「主の道筋をまっすぐにせよ」 ルカによる福音書3章1-6節(3/23説教)
2節後半に「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」とあります。
ヨハネの父ザカリアは祭司であり、母エリサベトは大祭司アロン家の娘ですから、ヨハネもまた祭司として将来を嘱望された人でした。そのヨハネがなぜ荒れ野にいたのでしょうか。荒れ野でヨハネは真剣に神の救いを求めていたのです。神の救いとは何かを追い求めていたのです。そのヨハネに神の言葉が降り、信仰についての新しい認識がヨハネに与えられたのです。
神の救いとは、律法によって良き業に励むことではなく、どんなに律法に励んでも人間には罪があるのだから、その罪を神の御前に言い表し、神の赦しを求め、罪赦されて神との聖霊による交わりの中に生かされることであるという認識です。そして「悔い改め」のしるしとして「洗礼」(バプテスマ)を受けることが神の御心に適うことであるということです。そういう認識をヨハネは与えられたのです。それ故に、ヨハネは「ヨルダン川沿いの地方一体に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝え」(3節)始めたのです。律法を中心とした信仰の生き方とは違った、まったく新しい(いや、本来の)信仰の生き方がヨハネによって始められたのです。
4節以下にこうあります。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』」。福音書記者ルカは預言者イザヤ(紀元前8世紀)の言葉の中にヨハネの姿を見ているのです。律法を行うことができないと言って落ち込んでいる者も自分は律法を行っていると言って高ぶっている者も、皆共に心砕かれ、自らの罪を言い表しながらまっすぐに神に目を向け、神の赦しと助けに頼る。そのように心の「道筋をまっすぐにする」ところに、神の赦しに生きる救いの生活があると預言者イザヤは、いや、バプテスマのヨハネは語っているのです。
牧師 柏木英雄