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教会だより

「ろばの子に乗って」 ルカによる福音書19章28-44節(4/13説教)

 28節に「イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた」とあります。主イエスはエルサレムにお入りなる直前に「ムナ」(19章11~27節)の話をされたのです。なぜでしょうか。それは「人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていた」(12節)からです。つまり、主イエスのエルサレム入城によって、直ちに「神の国」(神の救い)が実現すると人々が思っていたからです。

 しかし、主イエスのエルサレム入城によって起こることは、主イエスが十字架につけられるという人間の罪の出来事であり、その罪を主イエスが「ろばの子」の従順をもって受け抜いてくださることによって、復活の命が明らかになり、その時初めて、「神の国」に生きる生活が可能になることを明らかにするために、主イエスは「ムナ」のたとえを話されたのです。

 言い換えれば、神の国(救い)は、主イエスのエルサレム入城によって与えられる十字架と復活の恵みに生かされることによって初めて実現されるのであり、その恵みに生かされることがなければ、神の国に生きる生活はない、と言っておられるのです。そのことを話した上で、主イエスはろばの子に乗ってエルサレムに入城されたのです。そして人々は(弟子たちも)、それによって神の国が直ちに実現するかのように考え、主イエスのエルサレム入城を歓呼して迎えたのです。

 ファリサイ派のある人々が「先生、お弟子たちを叱ってください」と言うと、主イエスは「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」と言われました(39~40節)。確かに人々の歓呼は正しい理解に基づくものではありませんでした。しかし、主イエスのエルサレム入城自体はかけがえのないもので、どんなに賛美しても仕切れないものだったのです。なぜなら、それによって主イエスの十字架と復活の出来事が起こり、神の国への道が拓かれるのですから。そのことを言わんとして、主イエスは「石が叫びだす」と言われたのです。

牧師 柏木英雄