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教会だより

「神を試してはならない」 ルカによる福音書4章9-13節(5/25説教)

 サタンは、主イエスをエルサレム神殿の屋根の端に立たせて「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ」(9節)、聖書には「神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる」「あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える」(詩編91編11~12節)とあると言って、主イエスを誘惑しました。それに対して主イエスは「あなたの神である主を試してはならない」(12節)と言って、サタンの誘惑を退けました。

 「神を試す」とはどういうことでしょうか。神が本当に助けてくれるかどうかを、実際に神殿の屋根から飛び降りて試してみること、神の助けを証明しようとすることではないでしょうか。

 では、「神を試さない」とは、神の助けが本当にあることを信じて(信頼して)生きることです。そのことは、特に「祈る」ことにおいて言えることではないでしょうか。祈りに神が答えてくださることを信じて、心から神に祈るのです。その意味では、祈りは、実に「神殿の屋根から飛び降りる」ような行為(敢為、冒険)ではないでしょうか。

 サタンが言うことを「祈り」の中で実践するのです。誰にも知られない「密室」の中で、自分の全てを神に「委ねる」(献げる)祈りをするのです。祈りの冒険をするのです。その時、神は、豊かな祝福をもって私たちの祈りに答えてくださるのです。私たちの祈りが「足が石に打ち当たることがないように」、言い換えれば、私たちの祈りが空を打つ空しい祈りにならないように、神は天使たちによって、否、御子キリストの霊的臨在の恵みをもって私たちの祈りを支えてくださる、と言うのです。

 主イエスは常に祈る人でした。常に祈り、常に神の霊的な臨在の恵みによって豊かに支えられ、守られた御方でした。それ故に、主イエスは「メシアではない」ことの印である「十字架の死」を全うすることによって、ご自身が「真のメシア」であることを証明してくださったのです。

牧師 柏木英雄