教会だより
「霊の力に満ちて」 ルカによる福音書4章14-15節(6/15説教)
14節に「イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた」とあります。サタンの誘惑を退けた主イエスは、神の祝福の中、いよいよ聖霊に満たされ、ガリラヤへ帰ってメシアとしての公生涯を始められました。
その時、主イエスは、自分がサタンを退けたと言って自分を誇るようなことはしませんでした。また、自分がメシアであると公言するようなこともしませんでした。まさにその点でも主イエスはサタンの誘惑に陥らなかったのです。主イエスは、ただ事実、メシアとしての歩みを始められたのです。一人の人間として、神が共にいてくださる(インマヌエル)の恵みの中に深く生きられたのです。その一人の信仰者としての歩みに不思議な力があったのです。それ故に「その評判が周りの地方一帯に広まった」(14節)のです。
15節に「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」とあります。主イエスの活動の中心は会堂(シナゴグ)で御言葉を説き明かす(説教する)ことでした。当時の会堂は誰でも志ある者が会堂長の許可を得て御言葉を説き明かすことができました。その主イエスの御言葉の説き明かし(説教)に力があったのです。主イエスのメッセージの中心は、天の神が罪を赦して救う恵み深い神であるということでした。それは、将来実現されるご自身の十字架の死と復活を前提にして語られたものでした。それ故に、主イエスの説き明かしに力があり、多くの人の心を慰め、励ましたのです。それ故に、主イエスは人々から尊敬されるようになったのです。
マタイ7章28節に「群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」とあります。主イエスの「権威」は「神共にいます」(インマヌエル)恵みです。この恵みの中で語られる御言葉に力があるのです。その御言葉に聖霊が伴い、聞く人の魂を聖霊によって励ますからです。ここに私たちの説教の模範があります。
牧師 柏木英雄