教会だより
「だれにも話してはいけない」 ルカによる福音書5章12-16節(8/10説教)
14節に「イエスは厳しくお命じになった。『だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい』」とあります。なぜ主イエスは「だれにも話してはいけない」と言って、ご自身の癒しを隠そうとされたのでしょうか。
一つには、主イエスがユダヤ社会の秩序を破壊する者であると見られることを避けるためだったのではないでしょうか。主イエスは祭司を中心とする当時のユダヤ社会を変革しようとはされませんでした。どういう社会秩序(国家秩序)であれ、その中で主イエスを信じて「主にある」平安(救い)の中に生きることをまず第一のこととすべきであると主イエスはお考えになっていたからです。
主イエスがご自分の癒しを隠そうとされた最大の理由は、主イエスがメシアであることが誤った仕方で言い広められることを恐れたからです。つまり、主イエスのらい病人の癒しが明らかになることによって、主イエスが神の全能の御力を持つメシアであると理解されることを恐れたからです。
確かに主イエスは、事実、全能の御力を持つメシアですが、それは(これから実現される)主イエスの十字架と復活の出来事を通して明らかにされるべきことであったからです。主イエスの十字架と復活の出来事を抜きに、ただ主イエスが全能の御力を持つ故に神から遣わされたメシアであると考えることは正しい理解ではなかったからです。それ故に主イエスは「だれにも話してはいけない」と厳しくお命じになったのです。
それなら、癒されたらい患者はどう生きればよかったのでしょうか。自分の癒しを祭司に見せ社会復帰を果たした上で、主イエスを(病だけでなく魂を癒す)まことのメシアであると信じて「主にある」平安の内に生きればよかったのです。そのことを主イエスは期待されたのです。
牧師 柏木英雄