教会だより
「十二人を選ぶ」 ルカによる福音書6章12-16節(9/28説教)
「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた」(12~13節)とあります。主イエスは「新しいイスラエル」(教会)の基礎となる12人の弟子を「使徒」として選ばれたのです。
この弟子たちを選ぶ際に主イエスが最も心を込めて祈られたのは、この弟子たちが主イエスの十字架の死に躓き、全く主の弟子にふさわしくなくなった時に、そこから立ち直ることができるように、ということだったのではないでしょうか。主イエスの十字架の死がまさに彼らの罪の贖いの御業でもあったことを、復活の主イエスとの出会いの中で素直に受け入れ、全く主の弟子にふさわしくなくなった弟子たちが、再び主の弟子として生きる者となることができるように、主イエスは心を込めて祈られたのではないでしょうか。
主イエスが特に心を痛めつつ祈られたのが、後に主イエスを裏切ることになる「イスカリオテのユダ」(16節)だったのではないでしょうか。ユダこそ主イエスの十字架の死に躓いたのです。ユダは主イエスが十字架にかかることに納得がいかなかったのです。メシアたる者にそのようなことは「絶対にあってはならない」と思ったのです。その思いを譲ることができなかったのです。
しかし、主イエスの十字架の死が避けることのできない事実であることが明らかになった時、ユダの心にサタンが入り(ルカ22章3節)、ユダは主イエスを敵に売って金儲けをしようと考えたのです。そして主イエスの十字架の刑が確定した時、ユダは自らの過ちに気づき首をつって死んだのです。
ユダは主イエスの十字架の死が自分の罪の贖いのためでもあることを知らなかったのです。主イエスはこのユダの魂の救いのためにも祈られたのではないでしょうか。
牧師 柏木英雄