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教会だより

「風は思いのままに吹く」(音楽礼拝) ヨハネによる福音書3章1-10(11/9説教)

 主イエスによって「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3節)と言われた時、ニコデモはその意味が分かりませんでした。そこで「年をとった者が、~もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」(2節)と言うと、主イエスは「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である」(6節)と言われ、「新しく生まれる」とは「霊から生まれる」ことであると言われたのです。

 ニコデモはまさに「霊から生まれる」ということが分かりませんでした。ニコデモは、律法の教師として神の律法を誠実に守ることが「神の国を見ること」、即ち「救われること」であると考え、ひたすらそのように生きて来たのです。それ故に「霊から生まれる」ということが全く分からなかったのです。そのため「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか」と言って、主イエスから(愛の)叱責を受けたのです。

 この時、主イエスはやがてご自分の身に起こる十字架と復活の出来事を念頭に置きながら語っておられたのです。全ての人間は神の御前に罪人であるが、その罪が主イエスの十字架によって贖われ、赦される故に、神の御前に自らの罪を誠実に言い表し、悔い改める時、聖霊の恵みによって(全ての罪人が)主イエスの復活の命に与り、新しく生まれ変わって生きることができる。それが「霊によって生まれること」である。そう主イエスは言わんとされたのです。

 ただ、私たちの「悔い改め」が神の御心に適うものであるかどうかを決めるのは、私たち自身ではなく、神(聖霊)御自身であると言われ、神(聖霊)の自由な、愛の主権性について語られたのです。そのことを「風は思いのままに吹く」(8節)という表現を用いて言い表されたのです。

牧師 柏木英雄