教会だより
「わたしの証人となる」 使徒言行録1章3-11節(5/17説教)
「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(3節)とあります。主イエスは御自分が一人の人間として弟子たちと同じように、しかし、神の命の中に生きておられることを40日間にわたって示され、このことによって弟子たちは、主イエスが死に勝利され、神の命の中に生きておられることを心から信じる者とされたのです。
主イエスが私たちと同じ一人の人間として復活の命の中に生きておられるということは、私たち罪ある人間の中に復活の主の命が聖霊によって働く時、私たちも復活の主と同じように、罪清められた者として生きることができるということを意味するのです。弟子たちは復活の主との40日間の交わりの中でそのことを理解するようになったのではないでしょうか。
その後、復活の主は、昇天され、天の父なる神の御許に帰って行かれました(9節)。復活の主が昇天されなければ、復活の主の救いの働きは「限定され」ざるを得ないのです。復活の主がおられない所には、復活の主の働きがないように思われるからです。しかし、復活の主が昇天され、父なる神の右に坐し、姿を隠されることによって、復活の主はいつどんな時も、誰に対しても救いの働きをされるまことの救い主となられたのです。
復活の主は昇天される時、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、~地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(8節)と言われました。復活の主の証人となるとは、復活の主が「わたしの中に生きて働いてくださる」ことを証しすることです。日々の生活の中でそのことが、何よりもまず自分自身の救いの問題として、問われているのです。
牧師 柏木英雄
