教会だより
「一同は聖霊に満たされ」 使徒言行録2章1-13節(5/24説教)
弟子たちは、復活の主イエスとの40日間の交わりの中で心から復活の主を信じる者となりました。しかし、それで全てが終わった訳ではありませんでした。聖霊が与えられることを待たなければなりませんでした。
なぜでしょうか。それは聖霊が降るとは、復活の主が霊的に弟子たちと共にいてくださることを意味し、そのことが起こらなければ、信仰はいわば言葉だけのもの(観念)にすぎず、真に人を生かす力にならないからです。そうであれば、私たちの信仰も常に新しく聖霊を与えられ、主の霊的臨在の恵みの中に生かされることがなければ、真に力ある信仰生活はできないのです。
聖霊は五旬祭(ペンテコステ、50日目の祭り)の日に与えられました(2章1節)。この祭りは主イエスの復活から数えても50日目となりますので、弟子たちは結果として10日間祈り続けたことになります。しかも、10日祈れば聖霊が与えられることが分かっていた訳ではありませんので、そのことを考える時、弟子たちはよくぞ10日間、忍耐強く、主の聖霊の約束を信じて祈り続けたものだと思います。復活後40日間の復活の主との交わりの中で与えられた信仰が、まさにここで(祈ることにおいて)力を発揮したのです。
聖霊が降る様が2章2節以下に記されています。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話しだした。」
聖霊が降るとは、一人一人の魂(全存在)が復活の主の霊のご支配の中に生かされることです。その時、一人一人が力強く復活の主を証しする者となったのです。そして「一同は聖霊に満たされ」とは私たちのあるべき礼拝の姿です。
牧師 柏木英雄
