教会だより
「人の子は引き渡されようとしている」 ルカによる福音書9章43-45節(10/25説教)
主イエスがなさった奇跡(悪霊に取りつかれた子供を癒す)に人々が驚いているただ中で、主イエスは弟子たちに「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている」(43節)と言って、2度目の受難予告をされたのです。それはどういうことを意味していたのでしょうか。
それは「偉大な」神の御業を行うことができる「人の子」(主イエス)だから、受難を避けることができるのではなく、そういう御方だからこそすべての人間の罪の贖いのために十字架の死を遂げるのだということを弟子たちに言わんとされた、そういう意味を持っていたのではないでしょうか。
しかし、「弟子たちはその言葉の意味が分からなかった」(45節)のです。どうして偉大な神の御業を行うことができる主イエスが受難を受けなければならないのか、弟子たちはそのことばかりに心を囚われて、主イエスの御言葉の意味を理解することができなかったのです。
「彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった」(45節)とあります。ここに主イエスと弟子たちの間に(小さな)「溝」(距離)が生じたのではないでしょうか。どんなに怖くても弟子たちは勇気を出して主イエスに尋ねるべきだったのです。なぜ神の御力を持つ主イエスが十字架に付けられなければならないのかを。その時主イエスは、優しく丁寧に説明してくださったのではないでしょうか。
神から遣わされた御子メシアであるからこそ、全ての人間の罪の贖いのために、すべての人間に代わって神の裁きとしての十字架の死を遂げなければならない、それが神の御子メシアの使命であるということを。その時弟子たちは、全てを理解したわけではなくても、「主にある平安」を与えられ、主の弟子として生きる勇気を新たにすることができたのではないでしょうか。
牧師 柏木英雄
