先週の説教より
「神の右の座に着かれた」 マルコによる福音書16章19-20節(4/18説教)
復活のイエスは、弟子たちに復活のご自身を示された後、「天に上げられ、神の右の座に着かれ」ました(19節)。地上におけるメシアとしての業をすべて終えて、父なる神の御許に帰り、神の右の座に着かれたのです。しかし、それによって主イエスは、今こそ本当にすべての人間のために救い主として働き始められたのです。どのようにしてでしょうか。父なる神の右にあってすべての人間一人一人のために、ご自身の十字架を掲げつつ「わたしはこの者のために十字架の死を遂げ、すべての罪を贖いました。どうかこの者の罪を赦し、わたしの復活の命に与って生きることができるようにお助けください」と常に父なる神に「執り成し」ていてくださることによってです。
父なる神は主イエスの執り成しによってどのように行動されるのでしょうか。主イエスの執り成しによって憐みの心を動かされつつ、主イエスご自身を聖霊のお働きの中で私たち一人一人に最もふさわしい仕方で私たちのために遣わしてくださるのです。言い換えれば、天上にある主イエスご自身が、父なる神の御心に従って、地上に生きる私たち一人一人の魂の内に臨み、生きて働き、私たちの魂を清めつつ主の復活の命に生かしてくださるのです。
主イエスは今こそ「インマヌエルの主」として弟子たちと共にいてくださるのです。「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、~はっきりとお示しになった」(20節)とあります。弟子たちの福音宣教が真実であることは、弟子たちの宣教に「主が共にいてくださる」(インマヌエル)ことによって示されるのです。「神の右の座に着かれた」主イエスは今こそ救い主として力強く働かれるのです。
牧師 柏木英雄