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先週の説教より

「新しい言葉を語る」(ペンテコステ礼拝) 使徒言行録2章1-13節(5/23説教)

 弟子たちは復活の主イエスとの40日間の交わりの中で心から主イエスを信じる者となりました。しかし、それによって弟子たちはすぐに福音宣教を始めたわけではなかったのです。弟子たちが実際に福音宣教に遣わされるためには「聖霊」の恵みに与る必要があったのです。なぜなら、聖霊は天に上られた主イエスが再び弟子たちと「共にいる」(インマヌエル)ことを意味し、主が共にいてくださらなければ、宣教への力は与えられないからです。

 言い換えれば、主イエスを「信じる」ことと、「聖霊」に与り主の臨在の恵みによって新しく生かされることとは、別の事柄なのです。主イエスを「信じる」ことは私たち人間のすることですが、「聖霊」を与えてくださることは神がなさることなのです。心から主イエスを信じる者となった弟子たちが聖霊の約束を信じて祈り、その祈りに神が答えて五旬節(ペンテコステ)に聖霊を与えてくださり、弟子たちが主イエスの臨在の恵みに生かされた時、初めて弟子たちは福音宣教への力を与えられたのです。

 聖霊が降る時、激しい風が吹くような音が天から聞こえ、家中に響き渡り、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、弟子たち一人一人の上に留まりました(2~3節)。この異常な出来事は、聖霊によって弟子たち一人一人が主イエスの臨在の恵み(神の国)の中に生かされることによって、弟子たちが内的に全く「新しく」される(革新的な!)救いの出来事を意味しているのです。

 聖霊によって新しく生かされた時、初めて弟子たちは心を込めて主イエスの福音を全世界に語り始めたのです。ここから教会の福音宣教が始められ今日に至っているのです。私たちもまた聖霊によって主イエスの臨在の恵みに生かされる時、初めて「新しい言葉」(力ある信仰の言葉)を語ることができるのです。聖霊の恵みに与ることが神の「救い」に生かされることなのです。