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先週の説教より

「神の国のたとえ」 マルコによる福音書4章26-34節

 主イエスは「神の国」について「成長する種」のたとえ(26~29節)を用いて語られました。種が蒔かれると、人が夜昼、寝起きしているうちに、つまり、人の知らない間に、芽を出し、穂が現れ、豊かな実ができる、神の国もそのようである、と主は言われるのです。このたとえで言わんとしていることは、神の国の「主権性」ということです。神の国は、まったく人の助けを必要としない、神の国自身の力によって、人の中で生き、働き、成長し、豊かな実りをもたらすようになる、と主は言われるのです。

 「神の国」とは、主イエス・キリストにおける神の救いの霊的な「支配」「統治」のことです。主イエスを信じる者はすでにこの「神の国」の中に入れられているのです。そしてこの神の国は、信じる者の中で、信じる者自身が知らない間に、信じる者の助けや働きなしに、成長し、実りをもたらすのです。主イエスの救いの霊的な働きは信じる者の中でそのように行われるのです。では、私たち信じる者がなすべきことは何でしょうか。ただ、この主イエスの救いの働きを信じて、自分を主に委ね、「主が私の中でいよいよ力強く救いの御業を行ってくださるように」祈ることです。私たちがそう祈る間に、主は死人をよみがえらせる全能の御力をもって、私たちの中で働き、私たちを清め、主が共にいてくださる恵み(インマヌエル)の中に生かしてくださるのです。この主の霊的な救いの働きは、信じる者自身の「知らない間」に行なわれるのです。私たちは「後から」主の救いの働きを知らされ、喜びと感謝のうちに、いよいよ主の救いの働きに信頼しつつ、主の救いの深み(完成)へと導かれていくのです。

「神の国」はこのように行なわれる、と主イエスは言われるのです。

牧師 柏木英雄
(2019年10月27日週報)