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先週の説教より

「生きている者の神」 マルコによる福音書12章18-27節(6/6説教)

 死者の復活を認めないサドカイ派の人々が申命記25章に記されているレビラト婚を取り上げ、主イエスに問題提起をしました。「七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死に~次男が~。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです」(20~23節)と。つまり、もし復活があるとするなら、モーセの教えに従うレビラト婚は矛盾することになる、従って、死者の復活はない、と主張したのです。

 それに対して主イエスは「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしている」(24節)と言われたのです。聖書が語る神の力とは、人間が死んだ時に初めて関わるのではなく、人間が生きている時にその魂に関わり、罪を裁きつつ赦し、清め、新しい命に生かし、死んだ時にその命の完成としての復活に生かす神の力であり、その意味で「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神」(27節)である、と主イエスは言われるのです。

 そして、「死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」(25節)と主イエスは言われました。使徒パウロは結婚とは「キリストと教会」を映すものであると言いました(エフェソ5章32節)。夫婦が共にキリストを仰ぎ、キリストによって肉の思い清められ、互いに助け合いながら生きる時、その結婚は自ずから「キリストと教会」を映すものとなると言うのです。それなら全ての結婚は、地上の結婚生活が終わった時、天上の「キリストと教会」の関係の中に、否、キリストを中心とする神の家族の中に収斂されていくのです。その意味で、主イエスは天上においては「めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになる」と言われたのです。

牧師 柏木英雄