先週の説教より
「神を愛し、隣人を愛する」 マルコによる福音書12章26-34節(6/13説教)
敵対する人々に対する主イエスの対応の「立派さ」に感心した一人の律法学者が心から主イエスに教えを乞う気持ちで尋ねました。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(28節)と。すると、主イエスはお答えになりました。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし~力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」(29~31節)と。
主イエスが「第一の掟」と「第二の掟」と順序をつけたことが重要です。私たちが隣人を「自分のように愛する」ことは、その前に「神を愛する」ことがなければ不可能だからです。そうでなければ、隣人愛も自己愛の中に飲み込まれてしまうからです。神を愛し、神の愛と赦しの中で肉の思い清められて、初めて私たちは隣人を「自分のように」愛し、仕えることができるからです。
律法学者が主イエスの答えに心から賛同して「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である~』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし~神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物~よりも優れています。」(32~33節)と言うと、主イエスは「あなたは、神の国から遠くない」(34節)と言われたのです。
どうしたら彼は「神の国の『中に』いる」と言われることができたのでしょうか。それは、この二つの掟を真に生きられたのが主イエスご自身であり、その主イエスが罪の贖いの小羊として自ら進んで十字架の死を遂げ、復活の命を現わしてくださったことを信じることができた時ではないでしょうか。
牧師 柏木英雄