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先週の説教より

「一つの石も残ることはない」 マルコによる福音書13章1-2節(7/11説教)

 弟子の一人が「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と言ってエルサレム神殿の豪華さに感嘆した時、主イエスは「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(1~2節)と言われました。エルサレム神殿は紀元前20年頃から修築工事が行われおよそ80年余りを経て完成されましたので、そのことからも神殿の豪華さがうかがわれます。それを見て弟子たちはエルサレム神殿が永遠不滅であるように感じたのです。

 それに対して主イエスは、エルサレム神殿が「一つの石も崩されずに他の石の上に残る」ことがないほどに完全に崩壊する時が来ると言われたのです。

 問題は、主イエスがこのような認識をどこから得ておられるかということです。それは、主イエスがご自分の十字架の死が目前に迫っているという事実を念頭に置いて語っておられるということです。主イエスの十字架の死が実現することによってすべての人間の罪の贖いが完全に成就する時、もはやエルサレム神殿において行われる動物を献げての祭儀礼拝は完全に不要となるからです。その意味で主イエスはエルサレム神殿の「崩壊」を語られたのです。ヨハネ福音書2章19節で主イエスが「この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる」と言われた通りです。

 人々は主イエスを自称メシアで神と人を欺く大罪人として十字架につけました。しかし、主イエスはそのような人々の断罪を真の愛と赦しをもって忍び抜かれたのです。それをしなければ人間の真の罪の贖いは決して実現しないことを知っておられたからです。その覚悟を持ちつつ、主イエスはエルサレム神殿の「完全崩壊」を断言されたのです。

牧師 柏木英雄