先週の説教より
「自分のことに気をつけなさい」 マルコによる福音書13章3-13節(7/18説教)
主イエスは世の終わりの「徴」(4節)について語っておられます。自分こそメシアであると名乗るものが現われること、戦争の騒ぎやうわさが起こること、民が民に、国が国に敵対して立ち上がることなど(6~8節)が挙げられています。今日まさに起こっていることのように見えますが、「これらは産みの苦しみの始まり」(8節)にすぎない、と主は言われるのです。
主イエスは何を根拠にこのような世の終わりの「徴」について語っておられるのでしょうか。これからご自身の身に起こる十字架の死を念頭において語っておられるのです。主イエスの十字架の死は神の御子メシアを十字架につけるのですから、神に対する不従順の罪が行われることですが、現実にはその罪が「隠されている」のです。現実には人々は自分たちこそ「正しい」ことをしていると考えたのです。イエスこそ自分をメシアと自称する、神と人間を欺く恐ろしい大罪人であるとして十字架につけたのです。つまり、罪が「正義」と「信仰」の名をもって行われたのです。しかし、その罪の「覆い」が取られ、罪が罪としてむき出しになる時が来る、と主イエスは言われるのです。主イエスの十字架が起こるということは、その後には、罪が罪として露わになる仕方で罪が行われるようになり、人間がまことに神の御前に罪人であることが弁明の余地のない仕方で明らかになる時が来る、と主イエスは言われるのです。しかし、その時、主イエスの十字架と復活の真実も闇に輝くただ一つの光としていよいよ明らかになる、と言われているのです(10節)。
罪が露わになる時、信仰者自身の隠れた罪も露わになるのです。しかし、その時こそ動揺することなく、幼子のごとき従順をもって主イエスの十字架と復活の恵みにより頼むように、と主は言われるのです。その意味で「自分のことに気をつけていなさい」(9節)と主イエスは言われるのです。
牧師 柏木英雄