先週の説教より
「人の子が来る」 マルコによる福音書13章24-27節(8/1説教)
主イエスの再臨とは、隠れて(聖霊において)働いておられた主イエスが、誰の目にも明らかな仕方でご自身を(救い主として)現わされる時であると共に、隠れて働いていた人間の罪が罪として露わにされ、誰の目にも明らかな仕方で主イエスによって完全に裁かれる時です。
しかし、罪が裁かれることは、主イエスの十字架においてすでに(完全な仕方で)起こったことなのです。確かに人の目には隠された仕方で、人の目には「正義」が行われるという仕方で起こったことですが、実際にはすべての人間の罪が完全に主イエスの十字架において裁かれていたのです。
主イエスが十字架上において「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言って息を引き取られた時、それは、主イエスが完全に神から見捨てられたことによって、すべての人間が神から見捨てられ、裁かれていることを意味したのです。しかし、主イエスがすべての人間に代わって徹底的に神の裁きをご自身の身に受けてくださったことによって、すべての人間の罪の赦しと救いの道が開かれたのです。
そうであれば、主イエスの再臨は、主イエスの十字架とそれに続く復活が神によるすべての人間に対する罪の裁きと救いの出来事であることが、誰の目にも分かる仕方で明らかにされ、十字架と復活を遂げられた主イエスだけが罪から救われる唯一つの道(まことの救い主)であることがすべての人の目に明らかにされる時なのです。
「そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」(27節)とあります。主イエスの再臨の時は、人の目に隠されたしかし心から主イエスに望みをおく信仰者たちの「正しさ」がすべての人の目に明らかにされる時でもあるのです。
牧師 柏木英雄