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先週の説教より

「あなたがたは皆つまずく」  マルコによる福音書14章27-31節(10/3説教)

 主イエスが弟子たちに「あなたがたは皆わたしにつまずく」(27節)と言われた時、ペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(28節)と言いました。主イエスが「あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」(30節)と言われた時も、ペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(31節)と力を込めて言い張ったのです。他の弟子たちも皆同じように言ったのです。

 弟子たちは、もし主イエスが本気で自分が捕まらないように敵と戦ったとしたら、弟子たちも本気で敵と戦い、そのために死んでもかまわないと覚悟していたのではないでしょうか。その証拠に、実際に主イエスが敵に捕らえられようとした時、ペトロは剣を抜いて大祭司の手下に切りかかり、片方の耳を切り落したのです(ヨハネ18章10節)。弟子たちは本気で戦うつもりでいたのです。ところが、主イエスは敵と戦うつもりがなかったのです。むしろ自分から進んで敵にご自分を差し出されたのです。「聖書の言葉が実現するためである」(49節)と言いつつ。この主イエスの態度に弟子たちは躓き、戦う意欲を失ってしまったのではないでしょうか。

 ペトロが主イエスを見届けようと大祭司の庭に入り込み、主イエスが裁かれる姿を見た時、ペトロが目にしたのは今まで見たことのない主イエスの姿でした。大祭司によって一人の罪人として裁かれる主イエスの姿がそこにあったのです。それを見た時、ペトロの心の中に主イエスへの不信が生まれたのではないでしょうか。鶏が二度鳴く前の夜の闇が主イエスへの不信の闇としてペトロの心を捕らえたのです。その時、ペトロは思わず三度、弁解の余地のない仕方で「そんな人は知らない」と主を否んでしまったのです。

牧師 柏木英雄