先週の説教より
「十字架につけろ」 マルコによる福音書15章1-15節(11/14説教)
1節に「夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した」とあります。サンヒドリン議会は既にイエスを神を冒涜する罪で死刑にすることを決議しましたが(14章64節)、イエスをローマ皇帝に反逆する政治犯として訴え、ローマ総督ピラトに十字架刑を執行してもらうために、再びサンヒドリン議会を開いたのです。ユダヤ人の自治組織であるサンヒドリン議会には十字架刑を執行する権限がなかったからです。罪を重ねるイスラエル指導者たちでありました。
こうして主イエスはローマ総督ピラトのもとで十字架刑に処せられることになったのです。使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」とある通りです。
しかしなぜ、使徒信条に「ポンテオ・ピラト」という異邦人の名があえて記されているのでしょうか。それは、一つには主イエスの十字架の出来事がこの世の歴史の現実の中で実際に起こった出来事であることを強調するためです。もう一つは、主イエスの十字架の出来事が異邦人、即ち、主イエスを信じる信仰に直接関わりのない人間も主イエスの十字架の死に関わりがあること、つまり、すべての人間が主イエスを十字架につける罪を持っていることを言わんとするためです。ピラトは祭司長たちがイエスを引き渡したのがねたみのためであることを知っていたし(10節)、イエスには十字架刑に当たる罪がないことを知っていたのですから(13節)、イエスを無罪放免にすることができたのです。それにもかかわらず、群衆を恐れて(15節)主イエスの十字架刑を認めたところに政治家としてのまた人間としてのピラトの罪があったのではないでしょうか。
牧師 柏木英雄