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先週の説教より

「あざむくことのない希望」(音楽礼拝) ローマの信徒への手紙5章1-5節(11/28説教)

 私たちはしばしば「神は本当に私たちの祈りを聞いてくださるのだろうか」と問います。信仰の確かさに悩まされるのです。しかし、神は本当に私たちの祈りを聞いてくださるのです。神が必ず聞いてくださる祈りがあるのです。聖霊を求める祈りです。それ故に、聖霊を祈り求める希望こそ「あざむくことのない希望」(5節)なのです。

 聖霊を求める祈りとは、「霊の結ぶ実」を求める祈りです。ガラテヤ5章22節に「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とあります。聖霊が私たちの中に生み出してくださる「果実」です。この「霊の結ぶ実」を求めて祈る祈りが聖霊を求める祈りです。この祈りこそ神が最も喜ばれる祈りであり、神はこの祈りをすべての人が祈ることを求めておられ、この祈りに神は豊かに答えてくださるのです。

 ガラテヤ5章19節に「肉の業」として「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです」とあります。これが私たちの罪の現実です。この罪の私の中に聖霊が働き、私の中に「霊の結ぶ実」が与えられ、その清き恵みの中に私が生きることができますようにと、聖霊を求めて祈るのです。この祈りを神は喜び、この祈りに神は豊かに答えてくださるのです。

 ただ、神がこの祈りを聞いてくださらない時があります。私たちが「高ぶり」の中にある時です。その時、神は沈黙をもって答えられるのです。私たちがそのことに気づかされ、再び謙遜な心で聖霊の助けを祈り求める時、神はその私を憐れみ、再び豊かな聖霊の恵みをもって答えてくださるのです。その時、私たちは改めて罪赦された者として感謝と喜びの中に生かされるのです。

牧師 柏木英雄