先週の説教より
「父のふところにいる独り子」ヨハネによる福音書1章14-18節(1/9説教)
14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とあります。「肉」とはギリシャ語で「サルクス」です。サルクスとは骨の髄まで罪に染まった人間の体のことを意味しています。ローマ書8章3節に「御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り」とあり同じことを語っています。そうであれば、主イエスは私たち人間とまったく同じ罪の体を取って、人間の罪の現実のただ中に来てくださったのです。そうであればこそ、主イエスは私たち罪人の苦しみ・悩みをご自身のこととして理解することがおできになったのです。
しかし主イエスは、私たちと同じ罪の肉を取りながら、その中で常に「アッバ、父よ」と祈りつつ父なる神との深い霊の交わりに生きることによって(その意味で18節「父のふところにいる独り子」であられた!)、罪清められたお方として生きられたのです。主イエスの存在そのものが「奇跡」であったのです。それ故に主イエスは、私たちと同じ肉を取りながら「父の独り子としての栄光」を表わし「恵みと真理とに満ちた」(14節後半)お方として十字架の死に至るまで真実な歩みをされ、すべての人間の罪の贖いを実現してくださったのです。
主イエスの中に罪人が罪を言い表し(真理)、罪赦され救われる(恵み)道があります。主イエスがその「悔い改め」の道を開いてくださったのです。ルカ福音書15章10節に「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」とある通りです。クリスマスの主イエスの誕生における「天上の喜び」はそのことを表わしています。「父のふところにいる独り子」であるお方がご自身の十字架と復活を通してその道を開いてくださったのです。
牧師 柏木英雄