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先週の説教より

「弟子たちは信じなかった」マルコによる福音書第16章9~13節(2/13説教)

 主イエスが最初にご自身の復活を現わされた人はマグダラのマリアでした。この女性は「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」(9節)でした。絶望的な状況の中から主イエスによって救い出され、心から主イエスを信頼するようになった女性です。しかし、全く無名の女性です。主イエスがそういう女性をご自身の復活顕現の最初の対象とされたことに驚かされます。次に主イエスがご自身の復活を現わされたのは「田舎の方へ歩いて行く途中」(12節)おそらく「エマオの途上」(ルカ24章13節)の二人の弟子でした。この弟子たちも全く無名の弟子でした。復活の主イエスがこのように全く無名の人たちをご自身の復活の「最初の証人」とされた主イエスの自由さ(偶発性)、いと小さき者への深い憐れみの御心に驚かされます。

 主イエスの復活がこれらの証人たちによって証しされたにもかかわらず、弟子(使徒)たちは主イエスの復活を信じることができませんでした(11節、13節)。主イエスの復活を信じることの困難さが改めて示されています。弟子たちが心から主イエスの復活を信じることができるようになったのは、主イエスの復活が主イエスの十字架の死と深く結びついていることを弟子たちが悟ることによってでした。主イエスの復活のお体に十字架の傷跡が刻まれ、主イエスの十字架の死が自分たちの罪の贖いのためであり、自分たちもまた罪と死に勝利する主イエスの復活の命の恵みに与るように招かれていることを知ることにとってでした。その時、弟子たちは心砕かれ、あのトマスのように「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハネ福音書20章28節)と言って、復活の主イエスの御前にひれ伏すことができたのです。

牧師 柏木英雄