先週の説教より
「かたくなな心をおとがめになった」マルコによる福音書第16章14~20節(2/20説教)
14節に「十一人が食事をしているとき」とあります。これは、主イエスの十字架の死の衝撃によって散り散りバラバラになっていた弟子たち(使徒)が再び主の弟子としての「一体性」を取り戻しつつあったことを意味しているのではないでしょうか。そして、その助けとなったのが最初に復活の証人とされた無名の人々(マグダラのマリアと2人の弟子)であったのです。それらの人々の復活証言(イエスを見た、イエスは生きておられる!)に助けられて、弟子たちは再び主の弟子としての一体性を取り戻したのです。
そのようにして11人の弟子たち(ユダを欠いている!)が共に食事をしている時、復活の主イエスが弟子たちの「不信仰とかたくなな心」をおとがめになりながら、ご自身を弟子たちに現わされたのです。「復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかった」(14節)からです。弟子たちの心の中には、ユダが主イエスを裏切ったように主イエスを見捨て、否み、主の弟子に全くふさわしくなくなってしまった自分たちに復活の主がお会いくださるかどうか、疑い恐れる気持ちがあったのではないでしょうか。その点における復活の主の愛と赦しを信じ切れない弟子たちの不信仰と心の頑なさをおとがめになりながら、復活の主イエスはご自身を弟子たちに現わされたのです。
弟子たちは、復活の主イエスが自分たちに会ってくださることの中に復活の主の愛と赦しが示されていることを覚え、そのことを通して主イエスの十字架がまさに自分たちの罪の贖いの死でもあることを心から信じることができるものとされたのです。その弟子たちに復活の主イエスは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(15節)という福音宣教の命令をお与えになったのです。
牧師 柏木英雄