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先週の説教より

「福音の前進に役立つ」フィリピの信徒への手紙1章12~14節(3/27説教)

 パウロは12節で「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知って欲しい」と言っています。パウロの身に起こったこととは獄に入れられることでした。このことがどうして「福音の前進に役立った」と言うのでしょうか。パウロが獄に入れられることはむしろ福音の前進の妨げになるのではないでしょうか。なぜなら、獄に入れられることはパウロの宣教活動が制約されることになるのですから。

 しかし、パウロが獄に入れられ、宣教活動が全く制約され、死の危険さえ身近に迫る困窮の中にあっても、パウロが落ち込むことなく、喜びと感謝と祈りのうちに力強く信仰に生きることによって、それがパウロ自身の力によることではなく、主キリストの霊の助けによることであることが明確になり、それによって多くの人が信仰的に慰められ励まされたからです。

 パウロが獄に入れられることなく、何物にも妨げられず自由に福音宣教に励んでいるなら、それはパウロにそのような力や能力(宗教的能力)が備わっているから可能なのだと思われがちですが、パウロが獄に入れられ、全く無力にされた状況にあっても明るく力強いのであれば、それはパウロの人間的な力ではなく、ただ主キリストの聖霊によるご臨在の恵みのゆえであることが明確に示されることになるからです。

 パウロの投獄によって「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5章22節)であることが証明されたからです。そのために「主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになった」(14節)からです。それ故に、自分の身に起こったことが福音の前進に役立ったと、パウロ言っているのです。

牧師 柏木英雄