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先週の説教より

「主の名によって来られる方」ヨハネによる福音書12章12~19節(4/10説教)

 主イエスはろばの子に乗ってエルサレムに入城されました。主イエスがろばの子に乗られたのは、「シオンの娘、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる。ろばの子に乗って」(15節)というゼカリヤ書の預言を実行するためでした。その主イエスを大勢の群衆がなつめやしの葉を振って歓呼して喜び迎えました。ファリサイ派の人々が「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか」(19節)と嘆くほど熱狂的に人々は主イエスのエルサレム入城を歓迎したのです。

 しかし、主イエスがエルサレムでイスラエルの指導者たちによって捕らえられ、神を冒瀆する偽メシアとして断罪され、十字架につけられることになった時、人々は手のひらを返したように「十字架につけろ、十字架につけろ」と狂ったように叫ぶ群衆に変わってしまったのです(マルコ15章14節)。「飼い主のいない羊のように弱り果て」ている(マタイ9章36節)と主イエスが憐れまれた、信仰の確信を持つことができない寄る辺ない群衆の姿です。

 人々は主イエスが十字架につけられるためにエルサレムに入城されたことを知らなかったのです。主イエスは十字架にかかり、その十字架をすべての人間の罪の贖いのために真実に受け抜き、それによって復活の命を現わすために、ろばの子に乗ってエルサレムに入城されたのです。もし人々がそのことを知っていたら・・・と思うのです。そして私たちはそのことを知っています。そうであれば、私たちこそ「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」(13節)と主イエスのエルサレム入城を心からの確信をもって祝うことができるし、祝うべきであると思うのです。

牧師 柏木英雄