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先週の説教より

「主のために備える」 ルカによる福音書1章5-25節

メシアの先駆けとなるヨハネの父ザカリヤは、わが子誕生の知らせを神殿で香をたく祭司の務めのただ中で、天使を通して与えられましたが、あまりに自分たちの現実を超えた知らせであったために、それを信じることができませんでした。そのためザカリヤは、わが子の誕生の時まで「口が利けなくなる」という小さな(しかし期待に満ちた)「罰」を与えられました。

しかし、「口が利けなくなる」ということは、ザカリヤが自分に与えられた祭司の務めを最後まで全うすことができなかったことを意味しました。祭司は、神殿内で香をたいて祈りを献げた後、神殿の外に出て、外で待っている民衆に祝福を与えなければなりませんでした。それをもって祭司の務めを全うすることを意味したのです。ザカリヤはそれができなかったのです。「民衆はザカリヤを待っていた。~ザカリヤはやっと出て来たけれども、話すことができなかった」(21~22節)と記されています。

ザカリヤが祭司の務めを全うすることができなかったというアクシデントは、ある重要な指し示しを意味しているのではないでしょうか。「新しい時代の幕開け」を予告しているのではないか。祭司の務めがもはやいらなくなる、いや、そもそも神殿礼拝が不要になる、唯一人のお方(メシア)を「主」と信じることによって、神の命に生かされるというまったく新しい信仰の時代の幕開けを予告しているのではないでしょうか。

このようなエピソードを伴ったヨハネ誕生の出来事自身が既に「主のために備える」メシアの先駆けとしての意味を持っていたのではないでしょうか。

牧師 柏木英雄
(2019年12月8日週報)