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先週の説教より

「世にあって星のように輝く」フィリピの信徒への手紙2章12~18節(5/22説教)

 「いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて~自分の救いを達成するように努めなさい」(12節)と言って、パウロはフィリピ教会の人たちに「従順である」ことを勧めています。神の御前に「従順である」ことが「自分の救いを達成する」ことであると言って、従順であることを勧めているのです。

 神の御前に「従順である」とはどういうことでしょうか。それは、神の御前に自分が罪人であることを言い表すことです。どんな小さな罪であっても、それをいい加減にせず、神の御前に「従順に」(幼子のような従順をもって!)言い表すのです。その時、神はそのような私たちを喜び、主キリストの霊的臨在の恵みの中に私たちを生かしてくださるからです。それ故に、神の御前に「従順である」ことが「自分の救いを達成する」ことになるのです。

 神の御前に従順になることは、苦しいことです。嫌なことです。できれば避けたいことです。私たちはむしろ自分の正しさ、自分の善良さ、自分の尊さを主張したいのです。しかし、主イエスは「正しい人を招くためではなく、罪人を招くために」(マルコ2章17節)来られた方なのです。

 「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝く」(15節)と言われています。神の御前に喜んで自らの罪を言い表し、キリストのご臨在の恵みの中に生かされる者が「とがめられるところのない清い者」であり、「非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝く」と言われているのです。不思議な神の恵みを思わされます。

牧師 柏木英雄