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先週の説教より

「わたしの魂は主をあがめ」  ルカによる福音書1章39-56節

エリサベトは、マリアに「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45節)と言いました。マリアは自分には結婚の経験がないのに、聖霊によって子供が与えられることを信じて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言うことができたのです。このマリアの信仰の「従順」を、エリサベトはほめたたえたのです。

マリアは、子供が与えられることについて、自分の側には何の根拠も持っていなかったのです。いや、むしろまったく否定的な根拠しかなかったのです。それにもかかわらず、マリアは、ただ神の全能の恵みの御業の故に、聖霊によって自分の身に子供が宿ることを心から信じることができたのです。

私たちは、自分が神に選ばれキリストを信じる者とされたのは、自分の側に何かそれにふさわしいもの(力)があるからと考えがちではないでしょうか。そのように考え、自分にふさわしい力がないと思う時には、自信を失い、無力な信仰になりがちではないでしょうか。しかしそうではないのです。私たちは、神の御前に常に貧しいひとりの罪人に過ぎず、ただ神の愛と憐れみと赦しの故に、神の助けによってキリストの救いに生きる者とされたのです。この信仰に堅く立ってこそ、私たちは真に霊的な力ある信仰に生きることができるのです。

マリアはこの信仰の「模範」を私たちに示してくれたのです。エリサベトはそのマリアの信仰の従順をほめたたえたのです。このエリサベトの言葉に励まされて、マリアは、改めて自分が救い主の母として選ばれた幸いを深く覚え、聖霊に満たされ、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と、47節以下に記された美しい、しかし力強い「マリア賛歌」を歌うことができたのです。

こうしてマリアの身に行なわれた神の御業は、マリアの信仰の従順によっていよいよクリスマスの出来事、御子の誕生の実現に向けて前進していくのです。

牧師 柏木英雄
(2019年12月22日週報)