先週の説教より
「主の恵みがあなたがたの霊と共にあるように」 フィリピの信徒への手紙4章21-23節(8/14説教)
パウロはフィリピの信徒への手紙を閉じるに当たって「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく」(21節)と言っています。「よろしく」とは、直訳では「挨拶を送る」ということです。信仰者同士が「よろしく」と互いに挨拶を交わし合うとは何を意味しているのでしょうか。それは、私たち信仰者にはイエス・キリストという御方がいてくださる、この御方に「結ばれて」(主にあって)生きるなら、どのような状況でも、たとえ死の現実の中にあっても望みをもって生きることができる、だから互いに「主にある」信仰の歩みに励みましょう、ということです。「主にある」信仰に生きる者同士の挨拶にはそういう意味が込められている、と思うのです。
22節に「すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです」とあります。「皇帝の家の人たち」とは、この場合、エフェソにあるローマ総督官邸の中にいる役人や軍人でキリスト信者になった人たちのことを考えることができます。そういう人々がいるということは、福音の真理がローマ皇帝の権力の厚い壁を突き破って、人の魂の内奥に迫り、人の魂を捕えたことを意味し、主の福音がいかに真理としての力を持っているかを証ししています。パウロは、そういう人々が獄にいる自分を助け、自分と親しい信仰の交わりの中にあることを知らせることによって、フィリピ教会の人々の信仰を励ましているのです。
パウロは、そのことを知らせ、信仰の挨拶を送ることによって、主キリストの霊的臨在の恵みがフィリピ教会の人々の霊(魂の内奥)の内に力強く働き、彼らの魂が「主にあって」強くされることを祈り願いながら、この手紙を閉じているのです。
牧師 柏木英雄