先週の説教より
「生き生きとした希望」 ペトロの手紙(一)1章3-5節(9/11説教)
3節後半に「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」とあります。私たちが「新しく生まれる」ことも「生き生きとした希望を与えられる」ことも、すべて主イエス・キリストが「死者の中から復活された」ことにかかっています。言い換えれば、私たちが「新しく生まれる」ことも「生き生きとした希望を与えられる」ことも、私たちが復活の主キリストに「出会う」ことによって与えられるのです。
どうしたら復活の主イエスに「出会う」ことができるのでしょうか。私自身はかつて主イエスの救いを理解することができませんでした。頭では理解できるのですが、心の底から主イエスの救いを味わい知ることができませんでした。悶々とした日々の中で、ある時、神の御前に地面に額をつけるようにして神の助けを祈り求めた時、ふと心が温かくなり、主イエスが身近にいてくださることを感じることができました。この時、私は初めて主が共にいてくださる恵み(インマヌエル)を深い喜びの内に知ることができました。
神の御前に「心砕かれる」ことが大切ではないでしょうか。自分で自分を守ろうとする自我の武装から解き放たれ、自分のすべてを神に委ね、主キリストの復活の命に与って罪清められた者として生かされることを切に祈り求めるのです。その祈りの中に、復活の主は(聖霊において)生きて働き、事実、共にいてくださるのです。復活の主が共にいてくださる時、私たちは「新しく生まれた」者として、「生き生きとした希望」を汲めども尽きぬ泉の水のように(ヨハネ4章14節)魂の内に与えられつつ生きることができるのです。
牧師 柏木英雄