先週の説教より
「キリストを見たことがないのに愛する」 ペトロの手紙(一)1章6-9節(9/18説教)
5節に「あなたがたは~神の力により、信仰によって守られています」とあり、7節には「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され~」とあり、9節には「あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けている」とあり、繰り返し「信仰」という言葉が用いられています。
「信仰」とは、主イエス・キリストを信じる信仰のことですが、この信仰において最も大切なことは、キリストご自身が(聖霊によって)信じる者の中に生きて働いてくださり、信じる者をキリストの(死人をよみがえらせる)復活の命に、従って、救いの喜びの中に生かしてくださる、ということです。ガラテヤ2章20節に「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」とある通りです。それ故に信仰はかけがえのない、尊いものなのです。
8節に「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、~言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」とあります。ペトロはキリストを見たのです。それどころか、四六時中キリストと一緒に生活したのです。それにもかかわらず、キリストの十字架に躓いてしまったのです。それに対して、小アジアのキリスト信者たちは「キリストを見たことがないのに愛し~言葉では言い尽くせない喜びに満ちあふれている」のです。その彼らの信仰をペトロは称賛しているのです。
どうしてキリストを「見ないで」信じることができるのでしょうか。それは、信じる者の中に(聖霊において)キリストが生きて働いてくださるからです。それによって、信じる者の魂がキリストの救いに与り、救いの喜びに満たされるからです。
牧師 柏木英雄