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先週の説教より

「聖なる者となれ」 ペトロの手紙(一)1章13-16節(10/2説教)

 13節に「心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」とあります。イエス・キリストが「現れる」時とは、主イエスの「再臨」のことです。主イエスの再臨において大切なことは、主イエスは今すでに(聖霊において)「隠れて」救い主として働いておられるということです。その主イエスがやがて「誰の目にも明らかな仕方で」ご自身を現わされる時が来る、それが主の「再臨」ということです。今隠れて働かれる主キリストの救いに「心を引き締め」「身を慎んで」与ることが、主キリストの「再臨」を待つことにつながるのです。

 今隠れて働く主キリストの救いに与るためには、「心を引き締め」「身を慎む」ことが求められます。「心を引き締める」とは、改めて祈りの中で主キリストに「立ち向かう」ことです。「身を慎む」とは、自分の様々の肉の思いに振り回されないで「自制して」主の救いを求めることです。そのようにして祈りの中で主キリストに立ち向かう時、主は聖霊の働きの中で私たちの魂の内に臨み、私たちを主の救いの中に生かしてくださるのです。

 15節に「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい」とあります。「聖なる者となる」とは、自分で自分を「清める」ことではなく(それは不可能!)、罪深い自分を主に献げる(委ねる)ことによって、主によって「聖なる者」とされることです。私たちが自分を主に献げる時、主は喜んで私たちをご自身の「清さ」の中に生かしてくださるのです。常に新しく生活のすべての面で主のご臨在の恵みを求め、主によって「聖なる者」とされつつ生きよ、と言われているのです。

牧師 柏木英雄