先週の説教より
「幼な子は飼い葉おけに」 ルカによる福音書2章1-7節
マリアとヨセフは、ローマ皇帝による住民登録のためにガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。そしてこの旅の故に、ガリラヤのナザレに住むマリアがダビデの町ベツレヘムで幼な子イエスを生むことになり、それによって、メシアはダビデの町ベツレヘムで生まれるという旧約聖書の預言が成就され、この世の最高権力者を用いてご自身の計画を実現される神の摂理の御業が明らかにされたのです。
とは言え、ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまでのおよそ150キロの旅は、マリアとヨセフにとって、特に身重のマリアにとって大変辛い旅でした。なぜ神はこのような試練をお与えになるのか、と神への疑いが起こり得る過酷な旅でした。しかし神は、まさにマリアの胎の中の命を通して、二人を信仰によって守ったのです。マリアの胎の命が聖霊によって神から与えられた命であるなら、この命がマリアの胎に宿っている限り、神はこの命と共に自分たちを守り給う、そして無事に幼な子の誕生に至らせてくださるはずである。この信仰によって二人は守られたのです。そしてマリアの胎の命が成長すると共に、二人の信仰もいよいよ強められ、あらゆる困難の中にあって、望みをもって旅を続けることができたのです。
二人がベツレヘムに着いても、厳しい現実に変わりはありませんでした。ベツレヘムは人で溢れ、身重のマリアの体を休ませる宿屋はなく、馬小屋が彼らの休息の場となり、マリアはそこで幼な子を産まなければならなかったからです。しかし、惨めさとは無縁の二人でした。幼な子を無事に産むことができた安堵と共に、あらゆる困難を守り導いて幼な子の誕生に至らせてくださった神に対する深い感謝と喜びに二人の心が満たされていたからです。
牧師 柏木英雄
(2019年12月29日週報)