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先週の説教より

「主の言葉は永遠に変わらない」ペトロの手紙(一)1章22-25節(10/23説教)

 22節に「真理を受け入れて、魂を清め」とあります。この表現が大切だと思います。「真理を受け入れて」とは、直訳では「真理への従順において」となります。それを「真理を受け入れて」と訳したのです。この訳が適切であると思うのです。福音の真理を心の中に(アーメンと従順に)受け入れるのです。すると、福音の真理が(死人をよみがえらせる全能の御力をもって)私の魂の中で生きて働き、私の魂を「清めて」くださるのです。

 それによって何が起こるのでしょうか。「神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれる」(23節)ということが起こるのです。私たち自身が「神の生きた言葉」(真理)によって、「新しく造り変えられる」ということが起こるのです。その時、私たちは「偽りのない兄弟愛を」を与えられ、「清い心で深く愛し合う」(22節)ことができる者とされるのです。それ故に「真理を受け入れて、魂を清める」ことが、信仰者の日毎の業(課題)として与えられているのです。

 24~25節に「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」とあります。美しい表現です。イザヤ書40章6節以下の引用です。この御言葉は旧約聖書以来の真理です。しかし、新約聖書の時代において主イエスが十字架の死を遂げ、復活の命を現わしてくださることによって、この御言葉はいよいよ普遍的な真理として輝いているのです。

 人生の華やかさが空しいことを知りながら、その華やかさに囚われがちな私たちです。しかし、主の言葉(真理)を心に「受け入れて」、魂が「清められる」時、ここで語られている御言葉が本当のことであることを心の底から悟ることができるのです。

牧師 柏木英雄