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先週の説教より

「生まれたばかりの乳飲み子のように」 ペトロの手紙(一)2章1-6節(11/13説教)

 1~2節に「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」とあります。ここは、まず「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って」(1節)、その上で「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求める」(2節)と言うのではないのです。そのようなことは私たちには不可能です。そうではなく、まず「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求める」のです。すると、その結果として自ずから「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去る」ことができるように導かれるのです。1節は2節の結果として読むことが聖書の読み方として大切です。

 「混じりけのない霊の乳」とあります。ここで用いられている「霊」とは、ギリシャ語で「ロゴス」(言葉)という言葉ですので、「純粋な神ご自身の言葉を乳(ミルク)のように飲みなさい」と言っているのです。「生まれたばかりの乳飲み子」は「乳」(ミルク)をがぶがぶ飲みます。乳飲み子は乳だけでいいのです。それ以外の食べ物を必要としません。それによって成長します。それと同じように、信仰者も神ご自身の言葉(聖書、説教を通して語られる!)を「乳のように慕い求める」のです。それによって、信仰者として「成長し」(2節)、心の中にある「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」をみな捨て去ることができるように導かれるのです。神ご自身が「死人をよみがえらせる」全能の御力によって、私たちの「肉の思い」(罪)を清めてくださるのです。

 罪に満ちたこの世の現実(私たちもその一人!)の中で「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求める」生き方は、少しも現実的ではないように思えますが、それこそが最も確かな生き方なのです。

牧師 柏木英雄