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先週の説教より

「安らかに去らせてくださいます」 ルカによる福音書2章21-38節

シメオンは、聖霊の助けによって幼な子イエスの中に「神の救い」を見ることができました(30節)。そして「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます」(29節)と語ることができました。幼な子イエスの中に神の約束のメシア(神共にいます方)の到来を見ることができ、深い心の平安に満たされたからです。

私たちも、主イエスの中に「神の救い」を見、それによって心の「平安」を与えられる時、シメオンと同じようにあらゆる囚われ、思い煩いから解放されて生きることができるのではないでしょうか。安心してこの世を「去る」ことができるということは、言い換えれば、あらゆる囚われ、思い煩いから解放されて、力強く「生きる」ことができるということでもあるからです。  

どうしたらそのような生き方ができるのでしょうか。そのためにどうしたら主イエスの中に「神の救い」を見ることができるのでしょうか。

神の御前に自らの貧しい罪の現実をあるがままに言い表し、幼な子のような従順をもって神により頼むことによってです。神は、私たちのこのような信頼を喜んでくださるのです。この信頼に御子キリストの聖霊による臨在の恵みをもって応えてくださるのです。主キリストを私たちの魂の内に示し、「主が共にいてくださる」(インマヌエルの)恵みによって深い心の平安を与えてくださるのです。その時、私たちもまたシメオンと同じように「主よ、今こそ、この僕をあらゆる囚われから解放して、自らの賜物を用いて力一杯生きることができるようにしてくださいます」と言うことができるのです。

日々新しく主イエスの中に「神の救い」を見ることによって、日々新しく主による魂の解放(救い)を味わいつつ生きることができるのです。

牧師 柏木英雄
(2020年1月5日週報)