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先週の説教より

「わたしの魂は主をあがめ」ルカによる福音書1章39-56節(12/11説教)

 マリアは自分の身に起こった不思議な出来事(聖霊による懐妊)を誰に話したのでしょうか。自分でも信じ難いことでしたから、誰に話しても正しく理解してくれる人はいなかったのではないでしょうか。いいなずけのヨセフに話すこともできなかったでしょう。ヨセフが疑うのは当然のことでしたから(マタイ1章19節)。マリアの身に起こった不思議なそして重大な出来事(救い主の誕生)を正しく理解してくれる人は、ただ一人、同じような恵みを受けた親族エリサベト以外にはいませんでした。そう思ったマリアは直ちにエリサベトの住む山里のユダの町へ急いだのです(39節)。

 「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。~あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう』」(41~45節)。アリアは多くを語る必要がありませんでした。エリサベトは聖霊に導かれ、マリアの身に起こったことを正しく理解してくれたのです。

 このエリサベトの言葉によってマリアも聖霊に満たされ、自分が救い主の母として選ばれた幸いを改めて深く覚え、心からの賛美を歌うことができたのです。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」(47~48節)と歌ったのです。

 マリアは「身分の低い」自分のような者にも拘わらずではなく、そのような自分であるからこそ選ばれたところに深い神の憐みの御心があることを覚え、心からの賛美を歌うことができたのです。

牧師 柏木英雄