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先週の説教より

「あけぼのの光が」ルカによる福音書1章57-80節(12/18説教) 

 67節以下に「ザカリアの賛歌」が記されています。76節以下でこう語ります。「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。これは我らの神の憐みの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ~」。メシアの先駆けとしてのバプテスマのヨハネの出現は、古い旧約聖書の信仰の中にまったく新しい信仰(新約)が到来したことを告げる「あけぼのの光」である、とヨハネの父ザカリアは聖霊に満たされつつ預言したのです。

 ヨハネは「罪の赦しによる救い」のために、神の御前における「悔い改め」の大切さを力説しました(マタイ3章1節以下)。その時、ユダヤ全土から大勢の人々がヨハネのもとに来て洗礼を受けたのです。そのことからヨハネの働きがいかに絶大なものであったかが分かります。その時ヨハネは、「わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」(11節)と語り、自分にまさる主イエスの卓越性を人々に明らかにすることによって、メシアの「先駆け」としての役割を果たしたのです。

 しかし、そのヨハネが主イエスに躓いたのです。神を恐れず罪を犯し続ける領主ヘロデをいつまでも裁こうとしない主イエスにヨハネは疑いを抱き、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(マタイ11章3節)と、獄中から自分の弟子を主イエスのもとに遣わし問わせたのです。ヨハネは、神の裁きをご自身の身に下し、それによってすべての人間の罪を贖い赦し、すべての人をご自身の復活の命へ招く主イエスの十字架と復活の恵みをまだ知らなかったのです。その意味でヨハネは、古い旧約の信仰と新しい新約の信仰(主イエス)の狭間に立つ人間だったのです。

牧師 柏木英雄