先週の説教より
「異邦人を照らす啓示の光」(新年礼拝)ルカによる福音書2章22-38節(2023年1月1日)
幼子イエスの両親が「山鳩一つがいか家鳩の雛二羽」を献げるという「貧しい者」のための律法の例外規定(レビ記12章)に従って幼子イエスを神に献げる儀式を行ったことが22~24節に記されています。そのことから幼子イエスは貧しいユダヤ人家庭の子供としてお生まれになったことが分かります。
ここで注目すべきことは、この時の両親マリアとヨセフには、この幼子が神の御子メシアであるという興奮や感動のようなものが全く感じられず、ただ淡々と律法の定めに従って幼子を神に献げる儀式を行っているということです。それは両親が、確かにこの幼子が神から与えられた子供であることは承知していましたが、この幼子がこれから成長して、大人になって初めて神の御子メシアとしての働きをする、と考えていたからです。従って彼らは、今はただこの幼子を大切に育てることが自分たちの使命であると考えたからです。
それに対して、この幼子が、幼子のままで、今すでに神の御子メシアである(事実そうなのですが!)と見抜いた人がいた、それが老信仰者シメオンであり女預言者アンナであった、ということが25節以下に記されているのです。彼らは、聖霊の導きにより心の目が開かれることによって、この幼子の本質(今、幼子のままで、神の御子メシア、神共にいます方であること)を見抜くことができたのです。「わたしはこの目であなたの救いを見た」(30節)というシメオンの言葉がそのことを意味しています。
そして「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光」(31~32節)とは、神の啓示の光(聖霊)を受けた者は、誰であれ(ユダヤ人と異邦人など一切の区別なく)この幼子(主イエス)が、そのままで神の御子メシアであることを知り(認識し)、その救いの恵みに与ることができる、と言っているのです。
牧師 柏木英雄