先週の説教より
「元気に暮らしなさい」 マルコによる福音書5章21-34節
女性は、群衆の中に紛れ込み、後ろから主イエスの服の一端に触れると、直ちに出血が止まり、病が完全に癒されたことを体に感じたのです。その時、主イエスが「自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、『わたしの服に触れたのはだれか』」(30節)と尋ねられると、弟子たちは「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか」(31節)と答えたのです。
つまり、主イエスは、多くの群衆が主イエスを取り囲み、主イエスの体をもみくちゃにしていたにもかかわらず、誰かが自分の服の一端に触れたことに気づかれたのです。なぜでしょうか。その行為に祈りが込められていたからです。全身全霊をもって主イエスの助けを求める心の叫びがそこにあったからです。そのことに主イエスは気づかれたのです。そこで主は、その者を励ましたいと願って、自分の服に触れた者を探し出そうとされたのです。
女性は「自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した」(33節)のです。女性は主イエスが真剣に服に触れた者を探し出そうとしておられることを知り、これ以上隠すことはできないと悟り、震えながら主の御前に出て、すべてをありのままに話したのです。すると主イエスは、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」(34節)と言って、女性を励まされたのです。
主イエスは、主の助けを求める女性の行為を「信仰」と言ってくださったのです。そして、その信仰を大切にして、その信仰によって、望みをもって元気に生きていきなさい、と女性を励ましてくださったのです。
牧師 柏木英雄
(2020年1月12日週報)