先週の説教より
「心の中でキリストをあがめる」ペトロの手紙(一)3章13-18節(3/5説教)
伝道には二つの方法があると言われます。一つは「意図する」伝道、もう一つは「意図しない」伝道です。「意図する」伝道とは、伝道することを公に言い表しながら行う伝道の方法です。伝道集会がその代表です。主の日毎に行われる主日礼拝も、伝道という観点から言うなら、意図する伝道に属します。この伝道の方法は、キリスト教の信仰を求めている人、信仰に関心のある人には適していますが、信仰に関心のない人には有効ではありません。なぜなら、そういう人はそのような集会には来ないからです。
もう一つの伝道の方法である「意図しない」伝道は、初めから伝道する意図を持たないで(あるいはそれを隠して)、ただ自分の信仰生活に励むその在り方が結果として福音伝道としての力を持つ、そういう伝道の仕方です。15節の「心の中でキリストを主とあがめる」信仰とは、もとよりそれはすべての信仰の基本ですが、二つの伝道方法の後者の場合と考えることができましょう。
15節後半に「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」とあります。「心の中でキリストを主とあがめる」信仰者の生き方の中に、何かしら他の人とは違うものを感じて、その心の秘密を尋ねる人があった時は、いつでも明快な説明ができるように心の備えをしていなさいと言うのです。
しかも16節「穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい」と言うのです。信仰者は自分の信仰に強い自負を持っています。しかし、それが相手の心を傷つけることがないように配慮しつつ、相手に対する敬意をもって、その上で神の御前に誠実に立つ心(良心)をもって率直に信仰の弁明ができるように心の備えをしていなさいと言うのです。信じない人への深い心遣いが求められているのです。
牧師 柏木英雄